

パリから60キロメートルほど東南部にあるフォンテンブロー周辺のいくつかの村に19世紀半ばに芸術家コロニーが形成された。バルビゾンには、画家ミレー、ルソーが、モレにはパリ生まれの英国人画家シスレーが、グレ・シュール・ロワンには、北欧の画家カール・ラーション、劇作家ストロンベリらが住むようになった。
19世紀後半、パリに法律の勉強のために留学していた黒田清輝は、絵画の分野でも優れた才能を有し、パリ留学中に法律家を断念し画家に転向した。黒田は、友人の画家がグレにいたこともあり1890年グレにアトリエを構えるようになった。そして2年ほどグレで制作活動に励んだ後、帰国し、東京美術学校に創設された西洋絵画科の初代教授に任命された。
黒田から遅れること10年、1900年のパリ万博を機に訪仏した画家・浅井忠もグレに半年ほどアトリエを構え、グレを題材とした名作を残している。
グレには、浅井と共にアトリエを構えた画家・和田英作の他にも、佐伯祐三、藤田嗣治、梅原龍三郎など、日本の洋画界を代表する画家たちが訪れている。グレは、日本の洋画家たちにとって聖地とも言って良いだろう。(亜土)

滔々と流れるロワン川。一日に何度も激しく天候が変化するこの地方は外光派と呼ばれる画家たちに好まれた